2021-06-30

弾丸 in でっかいどー 北海道ツーリング 4?5日目(後編)

 
船内で、シートでゆっくり休むほど疲れてもいなかったので、
一先ず、買ってきたハンバーガーを食べるため、プロムナードへ移動。
本土へ向かう船窓を眺めながら、チャイニーズチキンバーガーを取り出しモグモグ。
もう1個。トンカツバーガーもモシャモシャ。
ラキポテもあったっけ?どんなかな? 
蓋を開けてみる。 
 
えっ? とろけたチーズが乗ってるの?
でもどうやって食べるん?フォークも箸もないんだけど・・ぐぬぬ。
そっと、蓋を閉じる。帰ってから食べる!
くそぉ。
 
昨日今日と、手巻きたばこを巻いていないので、在庫が残り少ない。
 喫煙室へ行く前に持ってきたシャグや巻紙、フィルター、
それに半自動巻器を取り出して、船外の風景を見ながら巻く!
ひたすら巻く。巻き器にフィルターを置き、シャグを詰め、
ペーパーののりしろを濡らし。巻く。単純作業。

 そんなことをしていたら、さっき出会ったSR乗りのお兄さんがやってきた。

煙草を巻きながら、しばらく話をする。
身の上に起こった話、思想の話、ご時世の話など、いろいろ。
お互いにね。
詳述はしない。人それぞれあるからね。
時間で解決できるものならいいんだけれど、難しい話も。
 
暫く話をして、私は喫煙室へ赴く。
飛行機のように到着まで禁煙と言われたら、我慢するけど、
喫煙室があるなら行く。もちろん行く(笑)
 
本土の方を眺めると雲が垂れこめている。
時折、あの雲は降ってるなあ・・と見つめながら。
日本海側の津軽半島の外ヶ浜の方は降っているように見える。
その奥にはうっすらと晴れ間が射して見える。 
一方の下北半島側は?
同じような感じだけど、太平洋岸は時折晴れ間も見える。
 
どちらを通って帰ろうかね? 
帰りは東北道を使うつもりはない。
今日はお昼までゆっくりしていたからね。
どこにも行ってないから、
日本海ルートか太平洋ルートかどちらかを行こうと思っている。
 近付く本土を幾度と眺めながら、その上にある雲行きを見つめて思案。
うん。太平洋岸をいこう。
 
青森港に着き、SR乗りのお兄さんと別れる。お兄さんは青森で一泊だそうだ。
私は直帰。ネコさん達が早くトイレを片付けろやゴラァと、怒っているだろうからね!(笑)
 
下船してすぐのコンビニに一度とまり、ナビを八戸方向へセットする。
どのルートで行くのかはナビさん便り。
青森港から南下する道は私は知らない。
すべてはナビ様のお導きのままに。
 
誘導は十和田方面へ。
え?これで合ってるの?と、思うも案内されるまま進む。
R4から外れR103へ、土地勘ないからさっぱりわからん。
どうも八甲田のほうへ向かっているらしい。
 
むっちゃ峠道に出た。本土の道らしい峠道。
北海道の感覚で走ったら死ぬよ?って、レベルの狭いRのきつい峠道。
途中、岩木山展望台があったけど、見えなかったのでスルー。
八甲田を眺めるいいポイント(後で調べたら萱野高原)があったので、
停めてカシャッとは言わない電子シャッターでシャッターを切る。


  ここで、雪中行軍で・・


 ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 
うちの父方が、元軍人さんだったからね。
みんな、母方も戦時中の話は、あまりしなかった。
学徒動員でどこそこに行ってとか、疎開で、と言う話は聞いた。
苦しい時代だった。
今言えることが当時は言えることではなかった。
それは共通している。
 
満州にいったとか、兄弟が旧満州生まれだったってのは、聞かされてはいた。
とても貧しい時代。
生まれてすぐに亡くなったり、徴兵され、戦争で亡くなったりしている。
戸籍を辿っていくと、そういう記載が出てくる。
古いアルバムには、白黒の写真の中に軍服を着た私の知らない誰かの姿もある。
詳しい話は聞いてない。幼心だったってのもあるしね。言われてもわからないよね。
 
お風呂で軍歌を唄っていた記憶が僅かにある。
戦史やそれにかかわる図書を時々購入しては読んでいたようだけれど、
戦後、その戦争についてどう考えていたのかは解らない。 

子供のころ、いい時代になったと口癖のようにいっていたが。

今だったら、どう思い、感じるのだろうか?
 
 
横道に逸れた。
 
八甲田の峠道を走り、R103から県道40へ。
田代平にある何とかの茶屋(又兵衛の茶屋)さんで一旦足を止めるが、
景色を目に焼き付け、先に進む。
道路の脇の草原に咲くツツジがオレンジ色に咲いていて、
空の青と白い雲と山肌の緑に染まる中に鮮やかな色合い。
 
県道からR394へ、七戸でR4を経て十和田市内へ降り、
本土に戻ってきてからはじめての給油。
GSのおじさんに、これから函館に行くの?って聞かれたけど、
今帰ってきたんだよ。って、告げる。(笑)
タンクバッグに開いていた。
ツーリングマップルのページが函館っだのを見たんだね。
仕舞い忘れていた。
そういえば、八戸からもフェリーあるんだもんね。忘れてたよ。
あっちは、苫小牧行きだっけか?室蘭もあったような?
 
給油を終え、十和田市でR4に別れを告げR45へ、六戸町、おいらせ町を抜け八戸へ。
八戸道もあるけれど、そのままR45で南下するも時間は夕刻で道が混む。
階上町まできて道の駅で休憩。
道の駅のお店は既に店を閉めている。
屋台のような車がアイドリングしたまま、誰か地元の人だろうか?
と、立ち話をしている。
それ以外は。物流の大型トラック。交通量が減るのを待っているのか、
休憩中なのかはわからないけれど。
交通量が減るのを休憩しながら待つことにする。
陽が落ちて、西の空に宵の明星と極細の三日月が姿を現す。
 
この辺りは、昔XR250R(ME06)に乗っていた時に、友人と下北半島に行ったあと、
帰り道に使って以来になる。当時は道の駅なんてものはなかった。
八戸道、三陸道(三陸道は未完)と次第に開通し、
当時は混んでいたR45の交通量は大分減ったようだ。

コーヒーを飲み、この先のルートを確認し、空もすっかり暗くなり、
行こうかとXRに近付くと、
先ほどまで車の脇で立ち話していたおっちゃんがやってきた。
 
ご時世の話、さっき通ってきた田代平のつつじの話、諸々、
四方山話を沢山。おもしろいおっちゃん。
名刺を頂いた。いろいろ手広くやってるみたい。
主に芸能やらプロデュースなのかな? 作詞作曲のものある。
多芸(笑) 
しばしの談笑後、帰路を急ぐ。
 
( 帰ってきてから、名刺をじっくり拝見してFacebookで、画像を拝見したら、
  雰囲気違うよ(笑) )
 

 次の給油ポイントは宮古市内。そこを外したら他にはしばらくない。
階上から洋野種市ICへ行き、三陸道に乗ろうと思ったら、
北行きしかなく、Uターン。
もう一つ先の洋野有屋ICからあらためて三陸道に乗る。
青森から岩手までは割とすぐに抜けるけど、岩手県は南北に長い。
この三陸道も今現在未完で継ぎ接ぎだらけ。久慈で一度途切れる。
 
 久慈から再びR45に乗り、普代、田野畑の田野畑南ICまでは、
時々集落はあるが暗い夜道。
田野畑南から岩泉、田老を経て宮古北ICで一度降りて、
宮古の港近くの24HのGSで給油。しかし、南北に長い。
地図で見るとわかるが、もっとも距離が長い外縁部をいくのが三陸沿岸の道。
R4を使った方がきっと早く着く。

 宮古市内からR45で、南下する。宮古中央ICの案内がある。
こっちから着たほうが早かった?
まぁいいや。もう少し南下して、宮古南ICから再び三陸道に乗る。
山田町を過ぎ大槌へ行く前に浪坂PAで休憩。ここだけ明るい。
一服し、空を見上げると、少し雲は出ているが星空は見える。
もう少し時間があれば、遠野の高原地帯に寄っていきたかったけれど。
この辺りで寄り道をすると、
給油ができない以上、立ち往生になってしまうので諦める。
 
 ずっと、真っ暗な道。後続も、先行車もいない。
ヘッドライトだけでは照射範囲が狭いから、フォグを併用で走っている。
日中で晴れていれば左手に青く見える海も黒くしか見えない。
大槌、釜石、大船渡、陸前高田を経て、やっと、宮城県に入る。
長い長い岩手県を抜ける。
気仙沼湾横断橋を渡って、やっとここまできたか、と。
 
 あとは、勝手知ったる道なんだけど。
ん~。どこかのICから上がってきた車が、
ハイビームのまま追走してきて眩しいったらありゃしない。
一度は消したのに、再び点ける。嫌がらせか? さすが宮城の車。
追い越し禁止区間。鬱陶しい。前も遅い。後ろは眩しい。逃げ道がない。
仕方なく、左ミラーだけそっぽを向けた。
なんで、ああいうことをするんだろうねぇ?

 しばらくして、片側2車線区間になり、追い越させたが、
その後は、ご想像にお任せする。
鬱陶しい車は石巻河南で降りて行った。
いつものプリ○ス、ミサイルプ○ウス。
大体悪さをするのはアク○、○リウス、レク○ス。ほぼこの3種のト○タ車。
これが近くにいるときは警戒している。
 
 石巻河南までくれば、もうちょっとで無料区間が終了する。
鳴瀬奥松島で降り、再びR45へ。
R45から県道8号へ入り市内へ。自宅へ深夜の帰宅。
 
 

総走行距離は、約3,000km

 
 
んこを早く始末しないと・・
 
 
再び、日常へと戻っていく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また 北海道へ 行きたいね
 
 
 



 

 



 
 
 
 See you Next time...
 
 
 
 
 
 
 
 

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